夜空と陸とのすきま

SF好き SF小説1000本ノックを目指しています

鋼鉄都市/アイザック・アシモフ

鋼鉄都市

ニューヨーク・シティの刑事ベイリと、宇宙からきたロボット捜査官R・ダニールが宇宙人惨殺事件の捜査に乗り出すバディもの。

最初にハヤカワSFをむさぼり読んでいた高校生の頃以来の、かなり久々のアシモフ。あの頃は海外SFっていってもどれから読んでいったらいいのかわからず、とりあえず三巨匠のアシモフ、クラーク、ハインラインからいくかと、アシモフを読んでました。『サリーはわが恋人』と『我はロボット』あたりはうっすら記憶にありますが、ほとんど忘れているので読み返したいな。

アシモフは設定も科学的な説得力もしっかりしている分、真面目というか堅苦しいというか、冒険的なエンタメ性はあまりない印象なんですが、『鋼鉄都市』はミステリーも入っていて、ロボットのダニールが唐変木なんだけど決めるときは決めるニヤリ☆なところが美味しいキャラだった。

捜査を続けていたら、邪魔するものが現れ、それを追っかけていったら犯人に当たったという、最後はちょっとあっけなかったかな。ようやくロボットの相棒と総合理解し合えたところで終わるので、これからなのに〜と思いきや、このコンビに『はだかの太陽』という続編があることをあとがきで知る。また近いうちにそちらも読みましょうねー。

福島正実さんの翻訳、意味はわかるんだけどなんて読むんだっけ?という漢字が多くて、義務教育〜高校の国語の漢字勉強をサボっていた自分が情けない。今さらながら読んでいてつまずいたところはノートに書き出して辞書で読みを調べたり。

舞妓さんちのまかないさん/小山愛子

舞妓さんちのまかないさん(1) (少年サンデーコミックス)

青森から舞妓さんを目指して京都にやってきたキヨとすみれ。舞妓修行に挫折したキヨは屋形のまかないさんになって、みんなの毎日の食事を作る。一方キヨの幼なじみのすみれは、努力が実り「百はな」として念願の舞妓デビュー。華やかな花街の舞台裏、普通の日のごはんを通して、温かな人間模様が描かれるお台所物語。

可愛い。このひと言が一番最初に出てくる食漫画。

萌え系絵の「照れ恥ずかしい顔」にチッと舌打ちしちゃう私が、この漫画の「照れ」は可愛いと素直に思う。プリン食べたい、餃子食べたい、ホットドック食べたいと、舞妓さんだけど10代の少女が、お座敷の帰りに「食べたい…」で照れ恥ずかしい顔になるのが良き。

そして少女達が5人以上出てきて賑やかに展開していく話が基本苦手なんだけど、この漫画はなぜか良き。登場人物にちゃんとした大人もいて、しっかり締まっているからかな。

屋形の台所がザ・昭和な感じで、冷蔵庫も小〜さくて、キヨちゃんは毎日大所帯の食事作りのために、大きなリュックを背負い買い出しに。図書館で料理本を借りてきて、幅広いレシピの習得に熱心です。えらい。それも屋形のみんなが美味しい美味しいって笑顔で食べてくれるから、いつも感謝してくれるから頑張れるんですね。

私は毎日大人数の家族の三食作って、毎食毎食めんどくさくてキーッッてなりますが、この漫画を読むとストレス解消です。この「いつも美味しいって言ってくれて感謝される」っていうのが、かなりファンタジーに思えちゃうんだけど。キヨちゃん幸せものだな。

 

世界の終わりの天文台/リリー・ブルックス=ダルトン

世界の終わりの天文台 (創元海外SF叢書)

「戦争が始まるらしい…」という噂を最後に総人類の気配が消え、北極圏に一人取り残された老天文学者と、木星探査機で宇宙にいるクルー達のセクションが交互に進むお話。

天文学者の元にはなぜか少女が現れ、共に厳寒の地で生活を始める。一方、木星から地球に帰還中のクルーは、地球と音信不通になり焦る日々。

人類はどうなったのかなど説明は一切無く、とにかく淡々と進む静かな物語。

特に北極圏の方はツンドラや猛吹雪の描写に、まさに今の雪国の様子とかぶって、人生を達観し反省し最後を迎える老人と、雪にはしゃぐ少女との穏やかな日常をいつまでも読んでいたい気持ちになり、木星探査機の方はイライラして、絶望感が辛そうで早くこのセクション終われ〜と読み飛ばしそうになりました。

宇宙にいるクルーが読んでいた本、クラークの『幼年期の終わり』やル・グウィン『闇の左手』が、「元ネタはこれだからねっ」ということなのか。

極寒の冬に読むのをオススメです。熊好きの人にも。

 

あと、あまりにも物語が進まないので、途中でモヤモヤしてきて解説とあとがきを先に読んだら、思いっきりネタバレでした。いやたいしたことじゃないんだけど。

 

映画は父を殺すためにある 通過儀礼という見方/島田裕巳

映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)

宗教学にとってとても重要な意味合いを持つ”通過儀礼”。通過儀礼とは、人間が人生の重要な節目をむかえ、ある状態から別の状態へ変わっていく際に、節目を越えたことを確認する為に行われる儀式のことをいう。宗教学者である作者が、映画を”通過儀礼”というテーマでみてみようという内容。

名作『ローマの休日』から始まり、『スタンド・バイ・ミー』、『スター・ウォーズ』などアメリカ映画で比較的にわかりやすく描かれる”通過儀礼”。名作ほど通過儀礼はきちんと描かれています。

逆に邦画の黒澤映画と小津映画や、『男はつらいよ』の隠された目立たない日本式”通過儀礼”の数々も紹介。

監督によってよく使う手法(黒澤映画は水との戦いが試練を意味し、小津映画は旅が試練)など、そういう見方でみるとますます面白いなぁと目からうろこでした。でもこの本で小津映画の性的いやらしさを教えてもらって、正直ドン引きです。大学生の頃に頑張って小津映画を追いかけて作品の数々を見たので、もう見返さなくていいかな。

あとがきの島田裕巳氏から映画評論家の町山智浩氏へ、そして解説の町山氏から島田氏への双方の感謝の文がとても印象的でした。町山さんの文章が特に泣ける。この方はいつも本のまえがきとあとがきに、思いも寄らない個人的な告白をするのでびっくりする。

若いときに見る映画は、人生とは何かを教えてくれる人生の予告編のようなものである。というのも、若いときにはまだ経験が浅く、自分達の人生に何が起こるのかを十分に理解していないからである。そこで、映画を通して、これから自分が経験するであろう出来事を予習することになる。

ところが、年齢がうえになれば、今度は予習ではなく、むしろ復習としての意味合いが強くなってくる。自分が人生のなかで経てきてこと、とくに失恋や離別、あるいは死別といった不在の感覚に結びつく体験に思いをはせ、その意味を、映画を通して反芻し、解釈し直すことになる。

10代〜20代は映画で人生を予習! 

クロストーク/コニー・ウィリス

クロストーク (新・ハヤカワ・SF・シリーズ)

脳外科手術EEDを受けると、パートナーの気持ちがダイレクトに伝え合うことができるようになる!この最新のEED処置を一緒に受けて、より親密な関係になろうと恋人に誘われたブリディ。ところが手術を受けたらテレパシーが使えるようになっちゃったという、超能力ラブコメSFサスペンス。

早川書房の銀背(新書サイズ)で700ページ、再来年あたりに文庫化するとしたら超分厚い上下巻になるであろうコニー・ウィリスの新刊を早速読んでみました。

序盤はEED処置に反対するブリディの親族や、社内恋愛中のブリディの職場関係がわちゃわちゃ。自分の意見を絶対押しとおすアメリカ的TVドラマのような”かしましさ”、マシンガントーク。実際に色んなTVドラマの話も出てくるけど、全然わかんないけれど大丈夫。

中盤でエスパーになっちゃったあたりから、各章の終わりに急展開が現れ、週刊少年ジャンプの“引き”のような、もうページをめくる手が止まらない〜最後の伏線の回収も細かくて(あれ、伏線なのかと驚きながら)大団円で読み終わって満足満足です。

人の心が読める超能力の表現を回線、混線と表し、ネット通信とSNSのコミュニケーションとからめて(主人公達は携帯キャリア勤め)描いていくのが面白いと思いました。iPhoneFacebookTwitterとどんどん実名で出てくるけど、10年後に読み返したらきっと古くさく感じちゃうんだろうな。

心の中の防御壁も面白かった。ブリディは他人の声を”洪水”とイメージし壁を想像して防ごうとします。自分なら何に例えるだろう、ヒッチコックの『鳥』かな?と考えるのもまた楽し。

頭の中は、悪いことが出てこられる唯一の場所だから、考えが不相応に不快なものになりがちだ。でも同時に、人間というのは野蛮で、いけすかなくて、さもしく、下品で、ごまかし上手で、残酷なんだ。

頭の中=”ネット”と変換しても可。