夜空と陸とのすきま

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映画は父を殺すためにある 通過儀礼という見方/島田裕巳

映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)

宗教学にとってとても重要な意味合いを持つ”通過儀礼”。通過儀礼とは、人間が人生の重要な節目をむかえ、ある状態から別の状態へ変わっていく際に、節目を越えたことを確認する為に行われる儀式のことをいう。宗教学者である作者が、映画を”通過儀礼”というテーマでみてみようという内容。

名作『ローマの休日』から始まり、『スタンド・バイ・ミー』、『スター・ウォーズ』などアメリカ映画で比較的にわかりやすく描かれる”通過儀礼”。名作ほど通過儀礼はきちんと描かれています。

逆に邦画の黒澤映画と小津映画や、『男はつらいよ』の隠された目立たない日本式”通過儀礼”の数々も紹介。

監督によってよく使う手法(黒澤映画は水との戦いが試練を意味し、小津映画は旅が試練)など、そういう見方でみるとますます面白いなぁと目からうろこでした。でもこの本で小津映画の性的いやらしさを教えてもらって、正直ドン引きです。大学生の頃に頑張って小津映画を追いかけて作品の数々を見たので、もう見返さなくていいかな。

あとがきの島田裕巳氏から映画評論家の町山智浩氏へ、そして解説の町山氏から島田氏への双方の感謝の文がとても印象的でした。町山さんの文章が特に泣ける。この方はいつも本のまえがきとあとがきに、思いも寄らない個人的な告白をするのでびっくりする。

若いときに見る映画は、人生とは何かを教えてくれる人生の予告編のようなものである。というのも、若いときにはまだ経験が浅く、自分達の人生に何が起こるのかを十分に理解していないからである。そこで、映画を通して、これから自分が経験するであろう出来事を予習することになる。

ところが、年齢がうえになれば、今度は予習ではなく、むしろ復習としての意味合いが強くなってくる。自分が人生のなかで経てきてこと、とくに失恋や離別、あるいは死別といった不在の感覚に結びつく体験に思いをはせ、その意味を、映画を通して反芻し、解釈し直すことになる。

10代〜20代は映画で人生を予習!