夜空と陸とのすきま

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幼年期の終わり/アーサー・C・クラーク

幼年期の終り

Eテレの100分de名著、今月はアーサー・C・クラークスペシャルということで、積ん読になっていた『幼年期の終わり』を読む。SF小説の定番、誰もが知っている名著なのに今頃になってようやく。

『Childhood's End』、日本では早川、創元、光文社と3社からそれぞれ違う翻訳で出ていますが、読んだのは早川の福島正実版。読み比べも楽しそう。

 というのも、Eテレの放送とNHKテキストもチェックしながら「幼年期の終わり」を読んだのでとても理解しやすかったのです。見落としかけていた大事なところが要点として紹介されていて。

またこのNHKテキストが、瀬名秀明氏が書いていて素晴らしい内容。

幼年期の終わり』の内容を紹介すると、人類が宇宙に進出した日、巨大宇宙船団が各国の首都に出現(インディペンデンス・デイ!)、オーバーロードと呼ばれる異星人、カレルレン総督のもと人類のかかえる難題は易々と解決し友好的に統治され、新しく生まれてきた子供達はメタモルフォーゼし、精神の集合体となる(エヴァの人類保管計画!)というお話。

様々な物語の元ネタでもあるので、その影響力に感嘆し、クラークの「センスのよい好奇心」を学べました。

精神の集合体=個が全になる=没個性は、どう素晴らしくてもイヤだ。メタモルフォーゼした子供達は死人以上に空虚な顔で、すっ裸で長い髪をたらし、眠らずに無心に踊り狂う。そして地球のエネルギーを吸い取り(元気玉?)、光となって遙かなる集合体へと合流する。それが全然羨ましくみえないというのがSFの定番になった。

本作で描かれた超越的存在との一体化は本当に幸福と呼べるものなのか、クラークもまた時代の思想に縛られていたのではないか、そもそも幸せとは種族を越えて普遍なのかーいまのぼくたちにはそうした視点で考えてみることもまた大切だろうと思います。おそらく本当の答は「全」か「個」のどちらかといった極端なものではなく、中間になるのだとぼくは感じます。(瀬名秀明